遊んで楽しむ 自然
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小山市を楽しめるご提案。 一般社団法人 小山市観光協会

電話でのお問い合わせはTEL.0285-30-4772
営業時間:午前10時〜午後7時(休日12月30日〜1月1日)

遊んで楽しむ 自然

小山祗園城跡(城山公園)

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  • 所在地: 36.319365,139.800006  地図
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  • 営業日(休日):
  • ≪眼下の思川とともに市のシンボルゾーン≫中世、小山氏の本拠地となったのが祗園城である。祗園社(現在の須賀神社)を城守りの神としたため、祗園城の名があると伝えられる。昭和31年(1965)、都市公園として整備、以来「城山公園」の愛称で市民の憩い広場として親しまれている。昭和39年(1964)、「小山城址」の名で市の文化財指定第1号になった。平成3年(1991)3月12日には、小山氏城跡として鷲城跡とともに国史跡に指定。春、園内は花見客でにぎわい、また、広い空間は各種のイベント会場としても利用される。いま、小山市の顔としてふさわしい歴史・文化の交流拠点を目指した整備が進められている。

鷲城跡

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  • 所在地: 36.305451,139.7849  地図
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  • ≪「小山義政の乱」の舞台≫鷲城は思川に面した崖端台地上に立地、すぐ北側を国道50号が走り小山大橋を背にする。平成3年(1991)3月12日、小山氏城跡として、祗園城跡とともに国指定史跡となる。康暦2年(1380)からの東国における最大の内乱といわれる「小山義政の乱」の舞台として有名。城は内城と外城の2つの曲輪から成る。内城は、東西280m・南北200mの規模で、中心部に鷲神社が祀られ、小山氏の領地のあった埼玉県北葛飾郡鷲宮町の鷲宮神社の鷲宮神社から勧請、名称はこれに由来。土塁・堀は山林、平坦部は畑地として利用されている。外城は、東西200m・南北250mの規模。廓内には古くから集落が展開し、いまも「外城(とじょう)」という地名で住宅が建つ。約200mの長い参道の両側には約160本の杉並木。昭和63年(1988)11月28日、社殿両側の2本のシラカシとともに市の天然記念物に指定された。

愛宕塚古墳

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  • 所在地: 36.314343,139.821601  地図
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  • ≪古木が生い茂る愛宕神社境内が古墳≫城東5丁目、結城街道を北へ。富士通小山工場の東側に愛宕神社がある。かつて、この辺りの町名は「土塔(どとう)」といった。これが愛宕塚古墳で、神社は平坦な墳頂部に祀られている。墳形は截頭円錐形(さいとうえんすいけい)を呈し、墳丘は裾部から墳頂にかけて急峻に立ち上がる。千駄塚の千駄塚古墳もこの例だ。直径45m・高さ約10mの円墳で、昭和32年(1957)8月27日に県指定史跡となった。裾部の外側、とくに西側には幅5?10mのわずかな窪みがあり周湟の存在を思わせる。また、東側には東西に配列された方墳や円墳の形状をした高塚群がある。本墳の陪塚(ばいちょう)とみられていたが、昭和50年(1975)の土地区画整理事業にともなう調査で、近世の供養塚とわかった。そんなことから本墳も供養塚との指摘もある。境内3反9畝余り。150mの馬場の両側には老杉が並立し、古木が生い茂り神々しい。一名、百百塚(ももづか、どどづか)とも呼ばれ、これらが訛って「土塔」となったといわれる。

丸山弁財天神社

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  • 所在地: 36.329267,139.828566  地図
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  • ≪丸い池に小さな浮島≫
    この丸山地区には神社がなかったが、明治30年(1897)頃、当地に移り住んだ大塚家が生まれた長女の健やかな成長を女神である弁天様に託し、京都から勧請した。
    また、この地は昔からかんばつに苦しみ、八反歩ぐらいの天水場があった。これを利用して丸い池をつくり、真ん中に小さな浮島を浮かべ水の神様として祠を祀った。
    最初、大塚家の氏神様だったのを、自分だけでなく地域のための守護神として祀る。当時28人の地域住民に1人3坪ずつの地主になってもらい、丸山地区の共有財産とした。
    御利益があるといっては、事業家がけっこう願掛けに訪れ、月参りをする熱心な人もみられる。二の鳥居は、丸山弁財天奉賛会の人たちの寄進による。
    秋の例祭、短い太鼓橋を渡り神前に御神酒が供えられる。しめ縄はもちろん真新しい。

中久喜城

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  • 所在地: 36.302066,139.839456  地図
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  • 営業日(休日):
  • ≪小山氏ゆかりの城跡を電車が走る≫中久喜城は市の東端、結城市との境界に位置し、河川によって開削された舌状台地を利用して築かれていた。城跡は2つの曲輪(字城内、字西城)からなっており、南に対しても極めて堅固な構造で、いまも土塁や堀がくっきりと残る。築城年代は不明だが、天正3年(1575)に秀綱が祗園城を開城するまでは、小山氏の支城となっていたはずだ。それ以降は結城氏の管理下に置かれ、天正18年(1590)8月には隠居した結城晴朝が入城し慶長6年(1601)の越前転封までその居城となっていた。町割りなどから、ここは城下町として、家臣や商人・職人・農民などが住んでいたのであろう。平成13年(2001)8月7日、小山氏城跡として、鷲城跡、祗園城跡とともに、国史跡に追加指定される。

千駄塚古墳と浅間神社

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  • 所在地: 36.282038,139.77482  地図
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  • ≪間々田地区大古墳群の主役≫国道4号沿いの千駄塚地区を西へ約100m入った所、こんもりとした森が千駄塚古墳だ。頂に富士山信仰の浅間(せんげん)神社を祀り、入口には鳥居が構える。別名「浅間山古墳」ともいわれる。千駄塚古墳群の中心墳ともいえ、北に宮内古墳群、南に牧ノ内古墳群を従え、この3つで間々田地区の一大古墳群を形成している。思川の段丘上に築かれた東日本最大級の大形円墳で、関東有数の大きさを誇る。直径は約70m、高さは約10mを測る二段築成。截頭円錐形(さいとうえんすいけい)の墳丘を幅15m?20mの周湟がめぐり、とくに西と北側にはっきりと残る。埴輪(はにわ)・葺石をともなわず、内部主体が未調査のため築造年代は不詳だが、古墳時代後期とみられる。墳麓には近くの古墳から出土した家形石棺が保存されている。昭和32年(1957)8月27日、石棺が考古資料、古墳が史跡として県の文化財に指定されている。空から見ると、木々が生い茂るまあるい形をした森だ。

間々田八幡公園

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  • 所在地: 栃木県小山市間々田八幡公園  地図
  • 営業時間:
  • 営業日(休日):
  • Tel:0285-49-3526 (水と緑の推進課)
  • ≪四季折々の変化を見せる八幡池周辺の広大な森≫間々田八幡公園は約5haの広さを持つうっそうとした森。そのうち2ha余りが八幡宮神社の好意で市民に開放されている。すぐ北側には間々田中学校が建つ。中央に間々田八幡宮神社が鎮座し、東から南西へドックレッグした「八幡池」がめぐる。池はかんがい用の溜池で3つにくびれていた。上から「瓢箪池」「弁天池」「ほたる池」と愛称されたが、現在「ほたる池」は駐車場。静かな鎮守の森はコナラ・スギなどの大木が林立し、森林の変遷を知る生きた標本として重要な自然。木々の香りを体全体に浴びる森林浴にもぴったりだ。



乙女不動原瓦窯跡

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  • 所在地: 乙女不動原瓦窯跡  地図
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  • ≪瓦生産の全容を伝える貴重な遺跡≫JR間々田駅から西へ国道4号を横断して約600m、市立博物館のすぐ北隣の小さな森が窯跡(かまあと)だ。瓦生産跡の全容を伝える前例のない貴重な遺跡で、昭和53年(1978)国指定史跡になった。森は高台で北側は小さな谷から低地。その境目を小川が流れ湿地になっている。高台部は平坦な草地、地中に粘土溜めや工房などの遺構がある。その斜面を利用してつくられた。奈良時代、下野薬師寺をはじめ当地域の重要な寺院に瓦を供給していたのだ。昭和52年(1977)の調査で4基の窯跡・工房跡・住居跡を確認。平成元年(1989)の調査では、窯は瓦専用の平窯であることが明らかになった。平成10年(1998)4月、「乙女かわらの公園」として開園、隣接する市立博物館と一体となり、歴史の広場として利用されている。

旧思川

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  • 所在地: 小山市下生井  地図
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  • ≪水路変更で残された水辺は絶好の釣り場≫河川改修が本格化するのは、明治半ばに河川法・砂防法・森林法の治山治水基本3法が施行されたことによる。最初は江戸時代からの舟運航路を確保する「底水工事」が主だった。しかし、その後は、洪水対策の「高水工事」へと移る。明治43年(1910)の洪水をきっかけに、翌年から利根川一帯の改修工事に着手。思川も野木町の友沼からの水路を変更し、下生井地区(旧下生井村)まで新川筋を造成することになった。足掛け12年わたる大事業。真っ直ぐな水路になると水害も減った。蛇行していた思川の旧川筋が約1kmほど残り、フナなどの格好の釣り場となっている。平成12年(2000)から憩いの場として、堤防上の思川桜の里親制度による桜堤とともに周辺整備が進められている。

あんずの里

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  • 所在地: 36.248686,139.704895  地図
  • 営業時間:
  • 営業日(休日):
  • ≪憩いの広場「あんずの里」≫下生井小学校の西、旧県南小林松原線沿い、与良川橋手前の堤防に、季節には200本もの杏の木の花が1kmにわたり咲き乱れる。春の菜の花にはじまり、杏、ひまわり、秋にはコスモスと地元民の憩いの空間となっている。

蛍橋

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  • 所在地: 36.31541,139.738852  地図
  • 営業時間:
  • 営業日(休日):
  • ≪昭和の初め、暗闇にホタルが渦を巻いて柱のように舞った≫「蛍橋」は中小学校から南へ100mの上泉と下河原田の境界でもある巴波川に架かっている。この地はかつて本沢河岸と呼ばれ、舟運が盛んだった。初めて橋が架けられたのは大正11年(1922)のこと。木製で「本沢橋」と呼ばれた。昭和2年(1927)4月にコンクリート橋に架け替えられ、ホタルの名所にちなんで「蛍橋」と名づけられる。現在のものは昭和9年(1934)の河川改修で誕生。長さ46m・幅5.5m。平成15年(2003)に右岸側の護岸工事が行われた。岸辺にヨシやアシが密生、柳やハンの木も茂り、ホタルがすむのに絶好の条件をそなえていた。昭和12年(1937)頃までホタル狩りも盛んで、3軒の料理屋は屋形船を出したという。「ホタルが密集して飛び交うと、ホタル柱が立った。渦を巻きながら闇に舞う様子はすごかった」と古老は昔の風流に懐かしむ。 

修道院の桜と雑木林

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  • 所在地: 栃木県小山市東島田2569  地図
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  • ≪静寂な空気につつまれて咲く思川桜、ここが発祥の地≫市の西北部、島田地区の思川河岸段丘上の雑木林に、昭和10年頃修道院ができた。修道院とは、厳格な戒律のもと共同生活を営んで修行を積むキリスト教の修道士・修道女の団体やその寺院のこと。6世紀の初め、イタリアで建設されたのを最初とする。思川桜は、そんな思川を眼下に望む丘の上にある小山修道院の庭で、昭和29年(1954)、春秋二季咲きの十月桜の実生を採取、同年5月29日にち播種、昭和30年(1955)4月15日発芽、昭和34年(1959)4月22日開花した中の1本で東京大学理学部付属植物園日光分園元主任の久保田秀夫氏が発見、昭和46年(1971)サクラの新品種として思川に因んで命名し学会に発表された、栃木県が創出した名桜である。当市内で発見された郷土の桜であり、その名も美しく、樹勢が強く、小枝の先に爛漫と咲きほこるさまは、豊かなまちづくりに向け前進している姿として、昭和53年(1978)、市の花に指定された。

琵琶塚古墳・摩利支天塚古墳

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  • 所在地: 36.374096,139.806261  地図
  • 営業時間:
  • 営業日(休日):
  • ≪小山地方の古代史を物語る大きな古墳≫市の北西部、主要地方道小山今市線の飯塚地区の家並みを過ぎて、名刹台林寺のちょうど反対側のうっそうとした2つの森が、琵琶塚古墳と摩利支天塚古墳。思川と姿川の合流点付近、その北方に大きく広がる。いずれも前方後円墳で、全長はは100m以上と県内最大で最古を誇る。円筒埴輪などの出土品から6世紀前半から中葉の築造と考えられる。2つとも国指定史跡。近くには、強大な首長が葬られたと思われる大型古墳が散在、遠く大和朝廷の時代に下毛野国を代表する首長たちの活躍の舞台となったことが想像できる。

羽川大沼

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  • 所在地: 36.350363,139.830873  地図
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  • ≪花しょうぶ、思川桜の散策路≫大沼は、国道4号・東北新幹線の東側にある。南北に長く東西はやや狭い、大正以前より「イモガラ溜」と称し、周辺にあった大小溜池とともに用水補給に利用されていた。大正7年(1918)の耕地整理事業により大正8年(1919)1月起工、水源地より小山町に至る幹線用水路と溜池の採掘・改修により、同年5月に通水される。昭和に入り、国分寺地域の開田が進むにつれ姿川の水量が減少し、溜池の効率の低下したため、土手かさ上げなどの改修を加えながら機能を維持してきた。平成6年(1994)から、老朽化による漏水等を一体的に改修するため、農林水産省補助事業・県営水環境整備事業により、貯水機能だけでなく、憩いの場・安らぎの場としての整備が進められ、平成14年(2002)3月に完成。周囲1.4km、季節には花しょうぶ、思川桜が美しい水辺の散策路となる。


高椅神社

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  • 所在地: 小山市高椅702-1  地図
  • 営業時間:
  • 営業日(休日):
  • 交通:JR小山駅より約12km
       JR結城駅より約5km
  • Tel:0285-49-0159
  • 当社の創立は、景行天皇の41年、日本武尊が御東征のおり、現在の白旗丘(当社北西方約1km)に御旗を立てられ、國常立尊天鏡尊、天萬尊の三柱の神を勧進して戦勝を祈願されたのが起源であると伝えられています。
    ※「料理の祖神 延喜式内 高椅神社(鯉の明神さま)参拝のしおり」から