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小山の伝説&昔の写真

小山の伝説・小山百景は、小山市教育委員会文化振興課・小山の昔の写真は、小山市観光協会に帰属します。無断転載、再配信等は行わないで下さい。

人から人へ、親から子へと長い間語り伝えられてきた伝説、それは生の郷土の歴史であり、かけがえのない文化遺産といっても過信ではありません。
伝説には多少の脚色があっても、郷土に根ざした先人たちのすばらしい英知や心情には現代に生きる私たちの心をとらえてやまない、不思議な力が秘められているように思われます。

小山市百景

豊田地区

 

思川駅

田園風景によく似合う木造の駅舎
小山駅から両毛線に乗り思川を渡ると、その名にちなんだ「思川駅」に着く。周囲一帯はのどかな田園風景だ。島式のホ−ムには屋根がなく、待合室がポツンとあるだけ。屋根なしの跨線橋が木造の端正な駅舎に通じている。駅前広場」の松の枝振りがいい。
明治44年(1911)4月10日開設。小山・栃木両駅のちょうど等距離に位置し、小山駅から5.4q。旧豊田村の中央、大字松沼にある。
朝夕、近くの高校に通う女子学生の華やかな声が静かなホ−ムにこだまする。映画のロケにでも使えそうなのどかな風景だ。乙女たちにふさわしい、日本一ロマンチックな駅名だろう。





 

満願寺

饅頭形の礎台の上に置かれた六角の塔
観晃橋を渡って立木地内に入り左手に見えるのが満願寺。天台宗のお寺で山院号を日光山勝長寿院という。健保6年(1218)、小山朝政が父政光の追善供養のため建立したと伝えられ、開山は弁覚和尚。
弁覚は延暦寺などで研学、承元4年(1210)頃に小山・結城・下河辺氏らの後ろ盾と将軍実朝の信頼を背景に、日光山の座主についた。俗名を大方余一といい、政光の従兄弟にあたる。境内には「政光逆修塔」と伝えられる文治4年(1188)銘記の石幢がある。凝灰岩製で五輪塔の水輪部を利用して台座とした六角石柱で、宝珠・請花・笠の部分は失われ、一石を六面に加工、幢身の頂に径2.5p、深さ12pの円孔を穿っている。おそらくここに写経や髻を納めたのだろう。一字ずつ陰刻されていたが、磨滅でいまはわからない。昭和39年(1964)10月20日、考古資料として市の文化財に指定された。表参道の「朝日松」の雄姿がみられなくなって久しい。
 

三ノ宮神社

3つのお宮、それぞれに鳥居がある
卒島地区の細く曲がった道を行くと3つの鳥居にぶつかる。磐裂神・根裂神・経津主命の3柱を祭神とする三ノ宮神社だ。
建久年間(1190〜98)、小山朝政はこの神社を厚く尊信したという。
本社はもと字三宮にあったのを寛延3年(1750)、現在の字新郭に移す。同年11月社殿落成、遷宮式を行う。宝泉寺を別当寺とし、昔は山王大権現と称した。
真ん中の大きな石の鳥居には、宝暦10年(1760)の年号がある。昔は鳥居は木製が多く石製は珍しい。鳥居は門の一形式で、神域と外界」をわける標め柱の役割りを果たした。それが3つもあるなんてぜいたくな神社かも知れない。






 

小宅八幡宮とカヤの木

落雷や暴風雨にも耐えた樹齢500年の御神木
御神木として代々大切に管理され、文禄年間(1392〜95)の洪水で本殿が流されたときにも、このカヤの木はそのまま残ったという。
高さ約28m・目通り約4m、枝張りは東西南北とも約14mで、樹齢は500年とも。昭和43年(1968)1月9日、市の天然記念物に指定。平成元年(1989)6月15日には「とちぎ名木百選」に選ばれている。
落雷や暴風雨で樹幹が裂ける、折れた痕跡がはっきりとみられる。基部には空洞もある。しかし、樹勢はよく、周囲の枝は途中から下垂し、古木として独特の風格を誇っている。
鎮守の森、小宅八幡宮のシンボルは空高くそびえる。




 

美田地区の田園風景

その名の通りに美しく肥沃な水田地帯
美田地区は思川・巴波川の流れに沿った肥沃な沖積平野に広がる。恵まれた土地は昔から私たちに豊かな実りを与えてくれた。下国府跡に近く古代の条里制の跡をとどめる。
明治22年(1889)4月、町村制により豊田・中・穂積村が誕生。そして、戦後の町村合併促進法により、昭和30年(1955)2月11日、3村が合併して「美田村」と称す。同38年4月18日、小山市と合併して今日に至る。面積は市全体の4分の1を占め、人口は約16,500人。「美田」村命名の由来は、豊田・中・穂積の3つの村の田んぼがあわさる「三田」にも通じ、文字通り美しい田んぼが連なる実り豊かな田園地帯を表している。
21世紀が目の前にあるいま、1千年以上もの長い歴史を見つめてきた美田地区の田園は地元民の誇れる風景となっている。
それゆえ、この歴史に支えられた美しい田園風景をこれからも大切に守り、後世へ送り伝えなければならないと思っている。
 

篠塚稲荷神社の飾り馬

五色の布や布団で飾り立てた神馬
毎年、旧暦の初午に近い日曜日、篠塚稲荷神社の森に、祭りを知らせる大きな2本の幟が立つ。
「飾り馬」は、村の無病息災と豊作を祈願して、五色の布や布団で美しく飾りたてた神馬を神社に参向させるもの。
昭和40年(1965)、市の無形民俗文化財に指定された。
神事が終わると「飾り馬」の派手な飾りは解かれ、流鏑馬用の馬になる。村の勇士が射手となって馬に跨がり、参道を一気に駆け抜けながら3つの的に向けて矢を放つ。当たり具合でその年の作況を占うのだ。
一の鳥居から参道の両側に大小百余りの朱い灯籠が並ぶ。ツツジが咲くといっそう見事だ。





 

立木宿

栃木道の小山から最初の宿場だった
市内には、日光街道や壬生通りを中心に各村を結ぶ無数の脇道が通っていた。これらはもともと、年貢などの搬送や人や情報の通り道、ときには神の道として利用され、そこに住む人々の重要な生活手段としての役割を果たしてきた。
小山は五街道追分の地ともいわれ、日光街道・壬生通り・結城道のほか清水坂下の2つの渡しから栃木道と佐野道がわかれていた。立木は栃木道の小山から最初の宿場で、松沼・卒島を経て栃木への最短コ−スであった。昔は伊古川村と称したという。立木観音の縁起によりいつからか立木と改められた。立木観音とは日光中禅寺にある千手観音のこと。
明治7年(1874)の史料に戸数44・人口225とあり、いまは世帯数565・人口1,656を数える。旧道沿いに家並みが続き、脇を小川が流れる。揺れる水草を見たのは何年ぶりだろうか。そういえば、市内でミズスマシやゲンゴロウもめっきり見られなくなってしまった。
 

展望台のある野口家

大工さんの引き留め策として設計された展望台
思川駅近く栃木からの電車がスピ−ドを落とすと、車窓の左手に広大な屋敷が現れる。木々の間から、屋根のてっぺんに一風変わった建物がのぞく。地元の人が「展望台のあるいえ」と呼ぶ野口家だ。
大正12年(1923)に新築工事が始まったが、大きな家だけに大工さんも多く仕事も遅々として進まない。そんなとき、あの関東大震災が起こり、大工さんたちは復旧のため東京へとかりだされてしまう。
あの瀟洒な建物は大工さんの引き留め策として設計された。変わった建物づくりなら、やり甲斐もあるだろうという思いからだ。6畳の小さな部屋からは富士も見え、花火大会では特等席となる。






 
※おやま百景ガイドブック:平成6年10月24日初版発行・平成16年5月15日改訂版発行 編集 小山市教育委員会 文化振興課

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